オカルとマニア0008

 さて

アレキサンダー大王[アレキサンドロス3(ギリシャ語読み)]の東方遠征は紀元前334年、紀元前326年インド侵攻、紀元前323年バビロンにて死去。

始皇帝、紀元前259218日生まれ?紀元前221年時に支那を初平定。

『アレキサンダー大王=始皇帝』の説など有ります。年代からして無理そうですが、どちらかが偽りの歴史だったら?ほぼほぼ100年の差が有るのもなんだか大王が生きられない年数を作り関係ないアピールをしているようにも受けとれます。

元々、支那国史など日本史を含め時代の長さ年代などを調整した偽書だと「正史」を『偽書』という考え方もあるのです。前々から私も言っておりますが書かれた現存する「史書」は勝者の書き記したモノだと思っています。

 

話は戻しまして

『アレキサンダー大王=始皇帝[秦始皇帝]』な説は私もそこまではどうかな?と思いますが

「アレキサンダー大王の先遣隊」が秦始皇帝[始皇帝]の軍もしくは秦始皇帝自体が先遣隊隊長な説はあり得るなと私は思っています。

BBCなどでは『青い目の始皇帝』的な内容の番組があるそです。多分そこでも出てたと思いますが、馬具の共通点やギリシャ様式の人型。コレはどちらとも『兵馬俑』からみられる共通項である。馬具などは現在から見ると不適切な使われ方であり、良いものが伝播してゆくのは考えて易いですが、不適切が広がるのはどうなのでしょうか。それと『兵馬俑』と言えばあのリアルな人と馬たち、そのリアル造形はその時代の前後には存在せず。ぽっと出てきたリアル、これがギリシャの技術者が関与したと言う根拠であるのです。

 

これらの謎をハッキリさせるには墓を掘り返せば解決ですが、支那国政府は50年間は発掘しないと言います。発掘=破壊になるからとのことです。『兵馬俑』もその被害の一つで発掘当初は美しい色彩があったそうです。まぁ、もしかしたら盗掘さん達への対処なのかもしれませんよね、持ち帰ったモノを人に見せようとしてもその時には色彩は奪われていたら

まぁ、しばらくは?藪の中ですね。

日本にも天皇陵などの発掘調査などほぼほぼできませんが、できたら色々と史実が変わる可能性も有るかもしれませんね。

こちらも藪の中ですが、掘られたくない理由も多分どちらにもあるのでしょう。表向きの公表の裏にも

 

さあ『この謎を解くのはあなた次第です!』